なんども映画化されている作品のようだが、レディ・ガガ版のこれが初見。ジュディ・ガーランド版やバーブラ・ストライサンド版に親しんでいる映画ファンの中にはレディ・ガガ版の今回の作品は物足りなく映ったという評価もあるようだけれど、初見でもなおテンプレート的な先を見通せるストーリーでありながら、スターとはなんなのか、ということに真摯に向き合いながら、丁寧にエピソードを積み上げ、共感を誘う作品になっていたと思った。
誰もが歌が上手いと認め、たまにdrag queenたちに混じってショーパブでステージに立つこともあるが、本業はレストランの店員のアリー。たまたま訪れた(なんてことは現実にはなかなかあり得ないと思うけど、まあ)大スターのジャック・メインは彼女の歌に感心し、たまたま聞いた(なんて展開はさらにあり得ないと思うが、まあ)彼女のオリジナル曲に惚れ込んで、翌日の自分のステージに立つよう強引に呼びつける。一度だけアカペラで聴いたアリーの曲の一節を膨らませ、アレンジをつけステージで歌い始め、さあどうする?とステージ袖のアリーを誘うジャック。震えながら前に踏み出し、大観衆を前に存分に実力を解き放つアリー。
その瞬間は、アリーの歌うShallowの歌詞そのままだ。
ねえ、今の生活で満足してる?
それとも自分を変えたい?
俺は倒れそうだよ
うまくいってる時もなにか違うものを求めてしまうし、
ダメな時は自分が怖くなる
ねえ、その虚しさを埋めるのに疲れない?
自分を変えたいと思う?
そんなに一生懸命になって疲れない?
私はもう倒れそう
うまくいっている時も違うものを求めてしまうし、
ダメな時は自分が怖い
一番深いところに飛び込むから見ていて
絶対足がつかないところへ
水面を破って、あいつらがもう私たちを傷つけられない深みへ
そうあんな浅瀬とは縁を切ったのよ
あんな浅いところにはもういない
あんな浅いところにもう行かない
私たちあんな浅瀬からは遠く離れたの
映画はしばしおきまりのコースを辿る。アリーはジャックのコンサートに常連で出演するようになり、実力を見出した敏腕で冷酷なマネージャーがついてどう見てもソレジャナイ感半端ないスタイルに変えさせていくがどういうわけかショービジネス界ではそれが受けるらしくアリーはスターダムを駆け上がる。顔をアップにした巨大ビルボードが街に立ち、グラミー賞にもノミネート。でも、このへんでジャックの心は疼き始める。
ジャックの父親は中年になってから出奔しアリゾナのピーカンナッツ農場で働いていた呑んだくれと説明されるが、「本物の才能のある人だった。お前と一緒にするな」と突然アリーに怒ったりしていたことからも、アリーの父親同様「素晴らしく歌は上手いが素人で終わった人」なのだと思うし、一緒にバンドを組んでみたものの売れなかった腹違いのずいぶん年の違う兄も、元は歌っていたらしい(兄がYou took my voiceと詰っていたから、途中からジャックがメインで歌って兄はギターに専念するとかいう経緯があったのだろう)。そして、ジャックはどうやら本音では父親にも兄にも敵わないと思って嫉妬していたのだろうな、という小さいエピソードが挟まれる。この「最小限の言葉で、言いすぎない程度に昔のことやバックグラウンドを語る」さじ加減がとても上手い。
スターとはなんなのか。歌が上手い人間はゴロゴロいる。スターになるかどうかは「シナトラのような容姿」が決めるのか、敏腕マネージャーがつくかどうかなのか、踊りや衣装などの要素を加えることなのか。宣伝のうまさなのか。
いつもどこかに自分を認めきれない思いを抱え、いずれ聴力を失う不安もつきまといながら、アルコールに溺れた父をなぞるように酒に依存するジャック。でも、もがいた分歌のことは深く考えてきたのかもな、という言葉も何度か出てくる。
「才能は誰もが持っている。でも、なにか訴えるものがあるか、そしてそれを人が聞いてくれるように伝えられるかは別の話だ。そして、やってみなければ聞いてくれるかどうかはわからない」
「今これを言っておかなければ自分を許せない。いいかい、本当に魂の奥深くまで掘り下げなければ、長続きはしない。きみにあるのはきみ自身だけだ。そしてきみが何を伝えたいかだけだ。みんな今はきみの声に耳を傾けているが、永遠にじゃない。ほんとだよ。だからしっかり掴みとるんだ。謝る必要もないし、みんなが何を聞いているか、いつまで聞いているかを気にすることもない。きみはただきみの伝えたいことだけを伝えろ。きみがそれをどう伝えるか、それだけが"天使の仕事"をしてくれるんだ」
スターダムを駆け上がるアリーとは逆に急速に過去の人になっていくジャック。人気商売の過酷さ。そして嫉妬心が拍車をかけ、酒ばかりかドラッグにも頼るようになったジャックは、アリーの栄えあるグラミー賞授賞式で大失態を演じ、リハビリ施設に入る。退院するが、授賞式での失態は尾を引き、アリーの人気に陰りが出始めたとジャックを糾弾するマネージャー。「まだ一緒にいるだけで笑い者だ」と。
子供の頃、自殺を考えたジャックは天井のファンにベルトをかけて首を吊ろうとしたが、ファンが抜け落ち一命をとりとめた(アル中の父親は息子の自殺未遂にも落ちたファンにも気づかずファンは半年もそのまま床にあった)ことを既に知っている観客は、彼がベルトを手にしただけで全てを悟る…。
絶望と失意の日々を過ごしたアリーは、数ヶ月後追悼コンサートの舞台に立つ。曲は、ジャックがリハビリ施設にいた頃書いたラブソングだ。あなたが去ったら、もう誰も愛さない。
まるで自分がこの世を去った後のアリーの心境を知っていたかのような歌詞。でもそれは本当はジャックが最後の力でアリーにすがりつく歌だった。
ジャックがか細い声でピアノを弾きながらアリーに聞かせたそのバラードを、オーケストラをバックに、大観衆の前で歌いきった時。
無音になった画面いっぱいに、アリーの顔が映る。
この時。全てを超えてスターという魔物が誕生した瞬間をみんなは見たのだ。
ジャックと舞台に立った時でも、グラミー賞を受け取った時でもなく、個人の感傷を超えて、その悲しみさえも歌にして万人の前で力強く歌う力を得た時。歌に世界に届く力が宿った時。
その力と非情の両方を自覚した瞬間が、アリーというスターの生まれた瞬間だった。
その力と非情の両方を自覚した瞬間が、アリーというスターの生まれた瞬間だった。