Friday, March 18, 2016

“Flung out of space”考―なぜテレーズはルーニー・マーラでなければならなかったか


                                                                                                 

                      画像:http://tinyurl.com/hm52bf5



『キャロル』の感想を少し前に書いたけれど、キャロル役のケイト・ブランシェットが素晴らしすぎて、すっかりテレーズ役のルーニー・マーラが抜け落ちた感想文になってしまった。
実はケイト・ブランシェットは「キャロルそのもの!」と思えたが、ルーニー・マーラに関しては「この人で合っているのかな」という気持ちがすこしあったからでもある。

原作を読んでテレーズが金髪だとわかると、ますます、本国では同時期に公開された『ブルックリン』でやはりデパートの売り子を演じるシアーシャ・ローナンの方が、イメージするテレーズに合う気さえした。若さ、強さ、固さ、美しさ。ケイト・ブランシェットの隣に並んだら、どれだけ美しいカップルになるだろうかと。

                              画像:http://tinyurl.com/jqgkx2q

それでも、時間が経って頭の中で作品を反芻するうちに、だんだん、「やはりテレーズはルーニー・マーラで良かった」と納得するようになった。

なぜなら、キャロルがテレーズに惹かれたところ、キャロルが思わずテレーズを評して口に出してしまい、あまりに本音を言ってしまったことに気がついてたちまち赤面するあの最初のランチ・デートの際の、あまりにも有名な台詞、”Flung out of space”を体現できるのは、やはりルーニーしかいなかったと思うようになったからだ。

その時の会話を原文から引用すると、こんな感じ。

Carol: What a strange girl you are.
Therese: Why?
Carol: Flung out of space.

これが日本語でどうなっているかというと、河出文庫「キャロル」柿沼瑛子さん訳では、
「本当に不思議な娘(こ)ね」
「なぜ?」
「突然、どこからともなく降ってあらわれたんですもの」

しかし映画では、この台詞は、
「空から落ちてきたみたい」
となっていたかと思う。

ニュアンスが違う。

この台詞は、二人が初めてモーテルのベッドで抱き合う場面でも繰り返され、その時には「My angel. Flung out of space.(空から落ちてきたわたしの天使)」
になっていた。
するとやはりFallen angel(堕天使)のこと? space=空からfling out=放り出されてきた天使のように美しい娘、と言いたかった?

でも、それも腑に落ちない・・・。放り出された?fell=落ちたのではなく?

おもしろいのは英語圏の読者や観客のなかにも、聞き慣れた言い回しとは言えない(とはいえ、今では『キャロル』の代表的な台詞として有名になっている)この言葉に戸惑い、わかりにくいと感じた人が少なくなかった様子が、検索すると見えてくること。「これってどういう意味?」と尋ねている人の多いこと。

そして実は、こうではないか、ああではないかと出されている解答も、一つにまとまっていない。

Spaceとは「空」なのか。「宇宙」なのか。それとも私たちが暮らすこの「世界」なのか。
そしてテレーズはいったいそこからなぜ、どう、「放り出されている」のだろうか。

あれこれとFlung out of spaceについて考えるうちに、トッド・ヘインズ監督、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラのIndiewireのインタビューをみつけた。読んでみると、たいへん興味深かった。

Indiewire:映画でキャロルがテレーズに言うセリフが好きなんだ。なんだっけ?

ケイト: ああ、An angel flung out of space、ね。「不思議な子。Flung out of space

Indie: 劇場から出てきたらお客さんがみんな、あなたがまさにそれを体現してたと言ってたよ、その…

ルーニー: 異星人ぽさを?

Indie: そう、その不思議な感じを。テレーズの役作りのためにそのセリフを掘り下げたりしたの?

ルーニー: してません。あのセリフ、ずっと不安だったんですよね。え、あたしって、そんな感じ?って。自分ではそんなFlung out of spaceだと思わないので。

監督: それはテレーズのリアクションそのものだよね。

ルーニー: まさにですよね。でも、映画を見て分かったんです。演技中はFlung out of spaceとは感じなかった。すごく普通の子のつもりでした。

ケイト: でも、そこにリアルさがあるし、この映画は女性の孤独を描いていると思うの。宇宙の軌道を漂っている宇宙飛行士のような、人との絆のなさ。だからこそお互いを求めあうのだし、彼女とキャロルの気持ちが通じ合った時に、「ああよかった、神様」みたいな気持ちになる。


監督: 君が言った通り、この作品は人に恋をするということの普遍的な謎を描いたものでもあるんだ。自意識のすべては、最も大きな疑問、つまり他人も自分と同じように感じているのだろうか、という疑問に根差している。その気持ちを知りたいと願う相手の気持ちが分からず翻弄されることほど、心細く孤独を感じる(Flung out of spaceな)ことはなく、それがこの2人のキャラクターにも込められたものなんだ。



ルーニーは、「あなたがflung out of spaceな感じをよく出していたと評価されていたよ」と言われて、" Was an alien?" と答えている。つまり、Flung out of spaceとは、世界との繋がりを失ったような寄る辺ない孤独、世界からはじき出されたような疎外感(=alienated)を指すのだろうか。

そう考えると、間違いなく美しいのだけれどエキセントリックで、大きな目が常に言外の感情を伝えて、弱々しいというのではないのに常に頼りない孤独感を醸し出すルーニー・マーラは、テレーズにぴったりかもしれない。まわりの世界に難なく溶け込むような安心できる美人では、きっと役不足なのだ。

Flung out of spaceを考えていて、もう一つ気づいたことがある。
二人の、視覚的に(特に衣裳によって)強調された「対比」だ。
「違い」が際立たせる「孤独」と、「違う」からこそ惹かれあう気持ち。

キャロルは成熟した大人だけれど、裕福な夫に娘を含むすべてのものごとや生き方の選択権を握られている。細く絞られたウエストにはきついコルセットが巻かれているだろうし、この年代のこういう家柄の女性は「こうあるべき」という規範に従った、贅沢だけれど窮屈な「他人のために選択された」服装。

一方、若くアルバイトの職しかないテレーズは質素な服装をしている(ただしあれは当時のクリエイティブな若者特有のファッションなのだと、衣裳担当のサンディ・パウエルが語っている)。テレーズは男性目線で見て魅力的な服を着よう、ボーイフレンドは何を着たら喜ぶかといった観点で服装を決めない。ウエストを無理やり絞ることもない。人に見せるための服を選ぶのではなく、実用的か、自分が着心地がいいかを基準に服を選んでいる。

テレーズは単に孤独で弱いキャラクターではなく、後ろ盾も職も夫もないぶん、キャロルが持ちたくても持てない自由、選べない選択権をふんだんに持ってもいる娘だった。
逆に言えば、寄って立つ地盤がないこと、持っている物が少ないことで、なににも誰にもつながらないこと=自由を獲得しているのだ。
テレーズの寄る辺なさの根拠はこの「自由」だったのかもしれない。

テレーズが美しく成熟したキャロルに見惚れたように、実はキャロルも若く心細げなテレーズを支えたいと思う庇護の気持ちだけではなく、彼女の中の自由をまぶしく憧れて見ていた部分があったのだろう。

その自分とは正反対の不思議な個性、不思議な自由と出会ったことが、やがて忍耐と妥協で固めてきた自分の世界を、ついに壊すことになる。