画像:http://www.imdb.com/title/tt3170832/
巨大な仮面を四六時中かぶって世間と自分とを遮断し、仮面の中の空間にこもることによって安寧を得る主人公を描いた『 FRANK』の監督、レニー・エイブラハムソンが次にメガホンを取ったのは、 誘拐監禁によって7年ものあいだ世間から隔絶されるという壮絶な 体験をした母と息子を描いた作品、『ROOM』だ。
そう書くと、監禁という憎むべき犯罪とそこからの回復がテーマのようである。
しかし、実はこの作品は、そのストーリーの中に入れ子のように 大切なもう一つの核を持っている気がしてならない。
その証拠にこの作品は、 こういう題材のものにありがちな事件の悲惨さを、あえてあまり描かない。監禁から抜け出して元の生活に戻ってきて、 直面した世界の冷酷さも、必要以上には描かない。長い監禁生活から出たばかりの親子にサングラスと日焼け止めを差し出す医師も、くだんの警官も、母もそのボーイフレンドも、テレビのキャスターでさ え配慮に優れ、思いやりにあふれている。
ジョイは解放後の苛立ちの中で母親の育て方を詰るが、こんな知性やサバイバル能力は、 17歳までに賢明な母親がしっかり身につけさせたものなのだろう 。
「ドアが開いているのは本当のROOMじゃないね」と。
17歳で誘拐され、 狭い物置小屋に監禁されたまま誘拐犯の子を産み、 たったひとりで5歳まで育てた主人公ジョイ。やっとの事で監禁状態から逃れるが、 あんなにまで夢見た外の世界は幸せなことばかりではない…。
監禁から逃れる場面のスリリングさ、7年ものあいだ日常が途切れることによる喪失の大きさ、2人を迎える「世間」への適応の困難さなどが丁寧に描かれ、見応えのある作品になっている。
監禁から逃れる場面のスリリングさ、7年ものあいだ日常が途切れることによる喪失の大きさ、2人を迎える「世間」への適応の困難さなどが丁寧に描かれ、見応えのある作品になっている。
とりわけ、生まれてから一度も、ROOMと呼ぶ物置小屋の限られた空間から出たことがない特殊な育ち方をした息子ジャックを演じるジェイコブ・トレンブレイくんは、どの瞬間も「演技」とは思えないほどの驚異的なリアルさで、この特異なストーリーを成り立たせている。
やっとのことで脱出の機会を得たのに、生まれて初めて見たどこまでも広がる青空に、あんなに予行演習した脱出手順全てが吹っ飛んでしまうほど驚く様子。
母に託された命綱のようなメモを監禁犯にあっさり奪われ、警察に保護されても蚊の鳴くような小声で単語をいうのがやっと…。ジャックの窮地に観客も気が気ではない。
これだけ伝えればいいからと教えられた母親のフルネームも忘れたジャックに、しかし女性警官は驚くほどの根気強さで接し、わずかな言葉の端々からヒントを読み取る聡明さで、ついに母ジョイも監禁場所から救い出す。このくだりなどほんとうにハラハラする。
母に託された命綱のようなメモを監禁犯にあっさり奪われ、警察に保護されても蚊の鳴くような小声で単語をいうのがやっと…。ジャックの窮地に観客も気が気ではない。
これだけ伝えればいいからと教えられた母親のフルネームも忘れたジャックに、しかし女性警官は驚くほどの根気強さで接し、わずかな言葉の端々からヒントを読み取る聡明さで、ついに母ジョイも監禁場所から救い出す。このくだりなどほんとうにハラハラする。
しかし、実はこの作品は、そのストーリーの中に入れ子のように
このようなストーリーの場合、むしろ事件から解放された後の「世間」の人々の無神経や冷酷さを見せられることが多く、そんな展開を見るのはステレオタイプで嫌だなと思っていたのだけれど、ジョイの母や周りの人たちは、この悲惨な事件からやっとの事で抜け出してきた親子を安全な家の中にほとんど隔離し、昔の友達や知人に会わせることもせず、 マスコミの餌食にさせず、家庭の中に、 それこそほぼ「監禁」 するように大切に丁寧に守りながら回復を待つ。
監督は監禁をセンセーショナルに描くことなど、まったく 目指していないように見える。なぜなら、 そこには本当の主題がないからなのではないか。
それでもジョイは、 女性キャスターに「子どもだけでも外に出す選択肢はあった。子どもだけにはよりよい環境を与える機会もあったのになぜそうしなかったのか」と問われて精神のバランスを崩す。 自分は自分勝手で子供の幸せを奪ったのではないかという自身の問いかけ に反論しきれなかったからだ。
しかし、ROOMを恋しがるジャックに祖母が「 狭くて嫌だったでしょう?」と戸惑いながら尋ねると、ジャックは哲学的とも思える返事をする。
「ううん、どの方向にも果てしなく広くて、終わりが見えなかったよ。 それにいつもママがいた」
ジャックにとって、生活の唯一の場所であったROOMは、決して忌まわしい空間ではなかったのだ。
わずか17歳で世界との接点を絶たれながら、 ジョイは精一杯息子を守る方法を考え抜き、 ここだけが世界で、あとのものはTVの中の作り物だと言い含め、狭い空間いっぱいを使って運動させ、 日光をほとんど浴びることのない生活では確かに不足しがちなビタ ミンをサプリメントで補給し、 絵を描かせ、歌を歌い、卵の殻やトイレットペーパーの芯でおもちゃを作り、 言葉を教え、ストレス発散にたまに大声を出させる。
ROOMの外に、ジャックに与えられるべき「よりよい環境」があったのではなく、なけなしの空間ではあれ、ROOMこそジャックに必要なものがほぼすべてそろった安心と愛情に満ちた「世界」だったのだ。
ROOMは、 もちろん誘拐監禁という犯罪を擁護するものでは断じてないけれど 、世にも悲惨で劣悪な環境をさえ、懐かしい空間に変えることができた1人の賢明な若い 母親と、その愛情を受けて、 そんな環境で育ったとは信じられないような素直さと知性を育んだ 愛らしい息子の深い愛の物語だ。
わたしたちはここから様々なことを学ぶことができる。
終盤、ROOMに一度帰りたいというジャックに応じて、ジョイは二人で 監禁小屋を訪れるが、ジャックは家具や証拠物品が持ち出されたがらんとした小屋の内部を見て、不思議そうに(ROOMが)「縮んだの?」と尋ねる。
そして「そうか、 ドアが開いているからだ」とつぶやく。
そう、外にも広い世界が広がっていると知ってしまったら、 ROOMは狭い空間でしかない。
でも、「唯一の空間」であれば、普通に暮らす私たちにとって自分の生活範囲が「唯一のもの」であるように、「終わりが見えない」ほど広いのだ。
この物語では2人がROOMにいるのはオールド・ニックの憎むべき犯罪のせ いだけれど、世の中には心ならずも貧困のために、 または政情不安のために、宗教の弾圧のために、など さまざまな理由で、 劣悪な環境に子どもをつきあわさざるをえない場合が存在する。 それは、誘拐監禁と同じように、逃れがたい不幸だ。 そんなところに子どもをつきあわせるよりは、 親と引き離しても子どもをより良い環境に置くべきではないかとい う議論もあるだろう。女性キャスターの問いかけのように。
でも、どんな劣悪な環境の中でも、 知性とほんものの愛情があれば、その空間はどこまでも広がるのだ。
ドアを閉めたほうがいい?と聞くジョイに、部屋の外の「せかい」 で生きていくと決めたジャックはしかし、首を振る。
「せかい」はとてつもなく広い分、さまざまな人がいる。 困難も大きいかもしれない。でも、FRANKもやがては仮面を捨てたように、幼少期という繭にはいつか穴が開き、だれしも外に出なくてはならない。
繭の中でどれだけの愛情と信頼感を構築したかで、 きっと世界の見え方は変わるのではないかと思う。
ROOMのポスターは、よく見ると青空が広がる「せかい」が、部屋の形をしている。
ジャックのような経験をした人間は滅多にいないと思うけれど、 大人になってから子供の頃過ごした部屋や施設を再訪するとその狭 さ小ささに驚いたという経験は誰しも覚えがあるだろう。
本当に狭苦しい空間が「どこまでも果てしなく広がる世界」 だったあの頃…。
『リリーのすべて』(The Danish Girl)がその特異性の中に愛情の普遍性を描いていたのと同じように、この特異な事件を描いた作品の中に隠れているのも、たいへん普遍的な、成長と愛情の物語なのかもしれない。