画像: http://ecmc.rochester.edu/rdm/notes/sf,os.html
さいきんツイッターのポストを読んでいてびっくりしたのは、「ビーフストロガノフの『ビーフ』は『〇〇流』という意味のロシア語であって『牛肉』のことではない」というものだった。
言われてみればロシア語らしい「ストロガノフ」(これだって意味は知らない)に英語の「ビーフ」がついているのは確かに変だ。でもずっとその音の響きに引っ張られて、牛肉の意のビーフだと信じて疑わなかったし、だいたいビーフストロガノフにはちゃんとその名のとおり(ではなかったわけだけれど)牛肉が入っているじゃないか。
その後よく調べてみると、これは「諸説」のなかの一つということであるらしい。
ビーフストロガノフ(beef stroganoff、ロシア語ではбефстроганов(ベフストロガノフ)またはговядина по-строгановски)とは代表的なロシア料理のひとつである。「ベフ」は英語の「ビーフ」ではなく、ロシア語で「~流」であり、「ストロガノフ流」の意であるとの説もあるが、これを俗説とし、「ビーフ」はフランス語のブフ(Bœuf・牛肉)に由来する、と主張する考察も存在する。ただし、本場ロシアでも鶏肉や豚肉を使用したアレンジ家庭料理は散見される。
(Wikipedia)
「ストロガノフ」のほうは「16世紀初頭にウラル地方で成功した貴族ストロガノフ家」(Wikipedia)のことらしいが、ここの家伝の料理というのもまた「諸説」の一つでしかないらしい。
このビーフストロガノフ「事件」は結構たくさんリツイートされて、「わたしもびっくりした」という人が知り合いにも何人かいた。
わたしにとってはこれに近いくらい驚きだったのが「るろうに剣心」という漫画のタイトルの「るろうに」は「流浪人」の最後の「ん」が落ちたもの、というツイートだった。
タイトルの「るろうに」とは流れ者や放浪者を意味する本作の造語であり、漢字表記は「流浪人」。
(Wikipedia)
「るろうにん」と「るろうに」ではたった1字しか違わないのになぜ1字だけ略す?
まあ、短縮したかったわけではないかもしれないけど、「ん」が落ちただけで本来の意味の「流浪人」が容易に想像できなくなってしまうのに、そんな造語をわざわざ作るのって、どんな意味があったのかな。
私はずっと「に」は接続助詞で、「『流浪』に『剣心』」と読むのだと思っていて、これはつまり「花に嵐」の如くである。
「花に嵐」というのは、これもまたわたしは長い間寺山修司の詩だと思っていた。でもこれも違うのである。
これはもともと中国・唐代の于武陵という人が書いた「五言絶句」というスタイルの詩の最後の二行らしい。
勘酒
勧君金屈巵
満酌不須辞
花發多風雨
人生足別離
「勧酒」というのがタイトル。
君に金の盃を捧げさせてくれ
なみなみと注いだこの酒をどうか断らないでくれ
花が咲けば雨も降り風も吹く
人生に別れはつきものだ
というような意味であって、「人生は別れの連続だから、今この出会いを大切にしよう」(だからまあ飲もうじゃないの)という詩らしい。
それを見事な日本語に訳したのが井伏鱒二で、このような訳である。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
そしてとくにこの最後の二行は、太宰治や寺山修司らたくさんの人々が繰り返し用い、
花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ
という最初に触れた「テラヤマ・バージョン」が、わたしの記憶に長くとどまったというわけだ。
どうして語尾の「あるぞ」が「あるさ」になったのか、経緯詳細はわからないが、「あるさ」バージョンでは「さ」音が次の「さよなら」の「さ」音と重なって声に出して読むと微妙に「さっさ」という響きになるあたり、「微妙な、でも効果絶大な書き換え」だったのではないかと思う。
そして、酒を勧める詩は、花はどんなに美しく咲いてもじきに嵐が来て枯れてしまう、人生は無常ですべては去っていくばかりだ、というもの悲しい言葉になった。
もっとも、寺山修司はそのあとに
さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません
という挑戦的な言葉をつけ足したりもしたのだけれど。
まあともかくこの「花に嵐」の要領で「流浪に剣心」と思っていたので、それだってなんのことやらわからないのだけれど、「さすらう身の上だが剣の心を忘れず生きる」的なストーリーを勝手に考えていたりした。
言葉は、時にあいまいだから、誤解によって本来の意味以外の傍流ストーリーを無限に生み出すことがある。
それもまたよきかな。