Wednesday, October 28, 2015

紙の月 (Pale Moon) 2014


画像: http://www.eigaland.com/topics/?p=1971

中年にさしかかった女がはるかに年下の男との恋愛に溺れ、勤務先である銀行の金に手をつけはじめ、次第に深みにはまり…とくれば、はじめから破綻は見えている。「横領もの」の女主人公の末路はあわれでやや滑稽なものと相場が決まっている。はたちそこそこの大学生にとって四十がらみの女はすぐ重荷になるだろうし、発覚しない横領などあり得ない。
だから観客は、犯行を重ねる女の行動を、やめとけばいいのに、とハラハラしながら、すこし蔑みながら追い続け、当然の結末として悪事が発覚すると、ほうら言わんこっちゃない、やっぱりね、人間つまんないかもしれないけど真面目に生きるのがいちばんよ、などと妙に道徳的に結論づけたりすることになる。
この作品も、そのように進んだ。
途中までは。

同僚、より子(小林聡美)の執拗な追求によって不正の全てが明らかになり、会議室に呼び出された女、梨花(宮沢りえ)の前に、自分が偽造したおびただしい証書が並べられる。上司は後の処理を指示して憤然と出て行き、あとには警察に突き出されるばかりの女と、より子が残される。

ここからの2人の会話が秀逸だ。

「土地でも持ってないの?耳を揃えて返せば刑事訴訟は免れるかも」というより子に、「自分で追い込んでおいて、わたしの惨めな姿を見て今度は同情するんですか」と返す梨花。するとより子は「あなたは惨めなの?それだけの大金を使って、わたしには一生できないほどのことを、やりたくてたまらなかったことを、みんなやったんでしょう?」と切り返す。そしてこう続ける。「いちど、あれしちゃいけない、これしちゃいけないと自分を縛ってきたことを全部取っ払ったら、なにがしたいか考えてみた。そしたら徹夜ぐらいしか思いつかなくて。わたし、徹夜ってしたことないのよ、翌日に響くから」。
すると梨花は顔を上げてこう言う。「わたしも。わたしも徹夜なんかしたことなかった。誰かのそばで、朝までずっと起きて一緒にいたいなんて思ったことはなかった。でもあの日。初めて朝帰りしてわたしは幸せだった」
そして、画面には早朝のブルーグレーの空にかかる薄い白い爪の先のような三日月を見上げる梨花が映る。ふと三日月に触れるように手を伸ばして、指先で月をこするようにすると、黒板にチョークで描いた落書きのように、月は消えるのだ。「ああ、これは偽物なんだ。偽物なら、なにをしてもいいんだ、わたしは自由だなと思ったの」。
より子は憤慨する。「自由?信頼してくれてた人を裏切って、それがあなたの自由なの?偽物?そりゃあ偽物かもね、お金なんて所詮紙だもん。でも、偽物の紙で買った自由なんかで遠くには行けない」。そして、きっぱりとこう告げる。
「あなたは、ここまで」。


なのに。
梨花はそこでうなだれるどころか、立ち上がるのだ。
立ち上がり、椅子を高々と持ち上げたかと思うと、会議室の広い窓に思い切りよく投げ込む。粉々に砕ける窓ガラス。ぽっかりと空いた空間。そしてその空間からいまにも出て行こうとする刹那、より子の方を振り返って、「一緒に行きます?」と尋ねる。

なんと意外な一言!
梨花は知っていたのだ。より子と自分は同類だと。規則に従い、昨日と同じ明日が来ることこそ「正しい」と受け入れて生きてきた女だと。同類だからこそ、より子もまたなにに縛られてきたのか、なにから逃れたいのかを。

非常ベルの音に驚いた職員が駆けつけると、部屋にはあっけにとられたより子が残るばかり。割れた窓から見下ろすと、美しいストライドで曲がり角を駆け抜けていく梨花の後ろ姿が一瞬見えて、消える。

そしてしばしカメラは、夕日だろうか、黄金色の明るい光に頬をやや紅潮させながら、どこまでも疾走する梨花を追う。


やがて場面が転換すると、舞台は東南アジアらしい市場になっている。果物の山が崩れ、拾いかけた少女の前で立ち止まるサンダル。ロングスカート。もちろんこれはどうやって警察を逃れたものか、梨花の姿だ。数週間後なのか数年後なのか。1つ拾い上げた果物を店主に返そうとして、梨花は息を飲む。それは中学時代、洪水被害の義援金を送り、その後短期間だけ文通していた少年の顔と、同じ位置に同じような傷のある男性だった。

級友たちがだんだん支援活動に飽きて募金が集まらなくなったことに反発した梨花は、父親の財布から5万円を抜き取って募金する。しかし子供には法外な額の義援金は問題になり、募金活動は中止になった。シスターは困っている人を助けてあげなければいけないと言ったのに、たとえ盗んだお金でもげんに困っている人に送ることがどうして悪いのか、梨花には納得がいかなかった。
その後、その顔に傷のある男の子からの音信は途絶え、亡くなったのかもしれないと思っていた。梨花の前に、いま現れたのは本当に彼なのか。だとしたら、あの盗んだ5万円は、彼の命を繋いだのだろうか…。

この作品は、通常の犯罪を描いた作品の、その先、またはその裏を問いかける。つまり、私たちの通り一遍の倫理観に対して、本当にそれが正しいのかと。

もちろん、横領は犯罪で、それは疑いようがない。人の財産を奪い、人の将来の生活をいくばくか奪い、信頼につけ込み、裏切る行為だ。梨花もいずれは逮捕されるのだろう。
だから私たちは、普段ここで止まってしまう。悪いことであることはあまりにも明白だから。「それは本当にそんなに悪いことなのか」と、さらに突き詰めて考えてみることはほとんどないかもしれない。

でも、それを当然の悪だと規定する法律そのものも、信頼や義務や倫理観も、何もかもが「偽物」だとしたら?短い現世そのものがただの借り物だとしたら?

たとえば空にかかる月は絶対的なものなのか。確実にそこにあることを触って確かめたのか。
1万円と書いたこの紙片の価値は、本当に常にその額面通りと言えるのか。
月も紙幣も、どちらも作り物のペラペラの「紙」なのかもしれないように、たかが80年あるかないかの、ちっぽけな人生、善人で生きても悪人で生きても、何十年後かには跡形もなく消えてしまう「作り物」、一夜限りの芝居とどれだけ違うのか。

少なくとも、人生のある瞬間、そういうふうに現実が揺らいで見えることがないとは言い切れないのではないか。

「すべての決まりを取っ払って」も、死ぬまでに一度もやったことないことをやってみよう、と思っても、普段の私たちは、あなたもわたしも、梨花もより子も、「徹夜ぐらいしか思いつかず」、しがらみだらけの面白くもない日常を綿々と続けるほうを選んでしまう。

もちろん現実にはそれでいい。

誰かに思い切り恋をすることもなく、夫の付属物で終わっても、そのほうが「正しい」人生だから。

でも、梨花がふと思ったように、人生そのもの、世界そのもの、嘘なのかもしれないのだったら、なにをやっても自由なのが本当かもしれないよ。道徳を選んでいたら死んだ人間が、背徳で生き残るのかもしれないよ。

映画を見て思い出したのは、高校の卒業式のことだ。中高の厳しい服装規定を従順に守り、高校生だった自分の目には「ダサい」制服のまま過ごした日々とも今日でお別れという日、いつも体の線を強調するようタイトに作り直した制服でしょっちゅう注意を受けていた「不良」のクラスメイトと、彼女に厳しく当たっていた教師が、抱き合わんばかりに別れを言い合っている場面に遭遇した。彼女はいつも「かっこよかった」。ああいうふうに制服を着こなせたら、と密かに憧れていた。でも、もうそれが実現するチャンスはなくなった。わたしは「ダサい」生徒で終わってしまった。なんだ、自分の思い通りの服装をし続けた彼女は、いまや一番のお気に入りの生徒だったかのような扱いを受けているではないか。そして…次にふと気づいてハッとしたのは、自分をそこまで縛っていた「校則」も、今この瞬間、消滅したということだった。このときまで、まさか「規則」自体が消え、自分に適用されなくなることなど思い及ばなかったのだ。

どっちが良かったのだろう。正しかったけど、不本意な姿のまま6年過ごしたわたしと、悪かったけれど、思い通りに過ごした彼女と。たかが制服のことだけれど、折に触れてこの時のことを思い出す。

犯罪を擁護する気も、まして推奨する気もない。でも、少しパースペクティブを変えて世界を見てみることは、人生の見方を深くするかもしれない。実際に道を踏み外すわけにはいかないけれど、思いもつかない方向から世界を見せてくれる映画や小説で疑似体験するくらいは、たまには必要かもしれない。

角田光代さんの同名の原作は、少し設定が違ったり、もう少し詳く描写されているようなので、これから読んでみようと思う。

※ 例によってセリフは、1回だけ鑑賞した時の記憶を頼りに書いているので細部が違っていると思います。
ここが間違っているというところがありましたら是非教えてください。