Monday, October 26, 2015

海街diary (Our Little Sister) 2015



画像: http://eiga.com/movie/80446/


父は浮気相手と結婚するため妻子を捨てて離婚し、その後母も、当時高校生だった長女以下3人姉妹を自分の母に託して家を出て、以来15年間一度も帰らない。その祖母も亡くなって5年になろうとする頃、父の訃報が届く。浮気相手だった女性とは一女をもうけたが死別し、いまは別の女性と再婚して、その女性には連れ子の幼い男の子がいるという。

葬式に参列した三姉妹は、自分たちとは母の違う中学生の「妹」、すずに会う。すずは父が死んだことで血の繋がらない母とその連れ子である弟と残されてしまい、口には出さないが居心地の悪そうな寂しそうな顔をしている。長女の幸が思わず、鎌倉で一緒に暮らさないかと声をかけ、妹たちも笑顔で誘う。すずは行きます!と即答し、やがて鎌倉での4人の生活が始まる。

看護師の長女、幸は父と母にそれぞれ捨てられたことを鮮明に覚えているだけに許すことはできず、幼い妹たちの面倒を見てきた自負と責任を感じている。他人からよく「優しい人だった」と評される父のことは、「優しくて、ダメな人。中途半端にだれにでもやさしいから、みんなを不幸にした」と断罪する。しかし、不倫した父をなじる一方、自分自身も、精神疾患のある妻とどうしても別れられない同僚の医師と内緒でつきあっている。次女のよしのは父のいい思い出だけが残っており、だらしない男と付き合って別れてばかりいる。父をほとんど覚えていない三女のちかは、捉えどころのないおっとりした優しい性格で、外見に全くこだわらず、人に変な趣味と言われながら勤務先のちょっと個性的なスポーツ店店長と付き合っている。
すずは、自分の母が姉たちの家庭を壊したことに罪悪感を感じており、優しかった父の思い出を姉たちに話すことができない。

物語は、幸の恋愛の行方、15年ぶりに現れた母との衝突と和解、そしてすずという「自分とは利害や見方の方向の違う人物」が加わってきたことで、頑なで一面的な認識を少しずつ改める幸と、出自のせいで、自分がただそこにいるだけで常に誰かを傷つけている、と遠慮がちに生きてきたすずの心がだんだん解放されていく過程を描きながら進行する。

人は必ずしも倫理的社会的に「正しい」生き方だけをすることはできず、たとえ優しく思いやりに溢れていても、その時その時のどうしようもない選択肢の積み重ねやすれ違いで、「正しくない」人にならざるをえなかったり、人を深く傷つけたり、生活を壊してしまうこともある。
しかし、正しくはない人生からでも、生まれる命は愛おしく、その命の織りなす関係性は美しい。

それは、 死を間近に自覚した「二宮さん」(行きつけの食堂経営者)の「私はすずちゃんのお父さんとお母さんが羨ましいわ。だってあなたという宝物をこの世に残せたんだもの」という言葉や、祖母の七回忌を終え、喪服のまま浜辺で遊ぶ四姉妹を映すラストシーンで、幸が「お父さんは本当に優しい人だったのかもしれない。だって、こんな妹をくれたんだもの」という言葉に現れている。

説明的なセリフを排し、ドラマチックな盛り上がりも極力抑えて淡々と日常を追うような作品だが、杓子定規に「正しさ」だけを要求し、弱点のある他人を厳しく排斥する傾向のある近年の風潮に、もっと懐の深い成熟した人生観を持つことを、静かに訴えている作品なのかもしれない、と思わされた。