Tuesday, June 13, 2017

マンチェスター・バイ・ザ・シー(Manchester by the Sea) 2016


画像:https://fourthreefilm.com/2017/02/manchester-by-the-sea/



テレパシーのように、ほんの一言ですべてが相手に通じた瞬間の嬉しい驚きとか、ささやかなおかしみがあとを引き、何年たっても思い出し笑いをしてしまうような失敗談というのは、多くの人が持っている記憶ではないかと思う。でも、その嬉しさやおかしみを、自分が感じるままに人に伝えるのは至難の技だ。
その記憶の部分はせいぜい数分の、一瞬のものだけれど、それを温かく、おかしく感じるのは長く複雑な経緯や背景があるからで、その前段ごと共有できなければ、同じ気持ちを感じてはもらえないからだ。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、優れた脚本、俳優、映像で、2時間かけて淡々と丁寧に物語を積み上げ、最後の場面で主人公リーやパトリックが感じた親しくもささやかな温かみを、観客も同じ温度で静かに共有できた気がする、そんな映画だった。

ボストンでアパートの住み込み管理人(というか簡単な修繕や掃除を請け負う便利屋)をしているリーは、兄の急死によって10年ぶりに故郷マンチェスター・バイ・ザ・シーに帰る。リーには、自分の不注意で起こした火災によって、かわいい盛りの幼いわが子3人を死なせてしまうという、取り返しのつかない重い過去がある。彼は家を失い妻と別れ、職を辞して街を逃げ出したのだ。

リーは兄の遺言によって遺児で高校生のパトリックの後見人に指名されるが、故郷に帰る気は無い。厳寒の季節で土が硬く、兄の埋葬のための穴を掘れる季節になるまでとどまることになるが、故郷でパトリックと対峙するうち、リーの気持ちもまた、凍土のように硬く人を寄せつけない状態から、だんだんと緩み、柔らかくなっていく。

10年前。海のそばの故郷で、美しい家と家族と気のおけない多くの友人に囲まれていた彼が、その全てを失うことになる事件は、発端はあまりにも些細な不注意で、言い訳のしようもないほど自分ひとりの失敗で、なのに結果はあまりにも重大で悲惨だ。それ以来、「死ねないから生きている」という風情のリー。その彼が兄まで失って故郷に帰ったのだから、重苦しい話になっても仕方がない。

でも、そんな背景を持ちながら、この作品には暗いどころか思わずくすくす笑ってしまうシーンがたくさん登場する。
それも、笑わせるための「ネタ」が仕込まれているわけではない、ささいなタイミングの行き違い、感覚のすれ違いが生む、あの日常生活を共有する親しい者だけがわかる「説明の難しいくすくす笑い」が。

例えば、兄の死後パトリックを学校に迎えにいき、病院の死体安置所に置かれた父の遺体に対面するか、見ずに家に帰るかと車内で尋ねる場面。パトリックは躊躇し、黙り込むが、意を決したように"I go"と言う。次の瞬間パトリックはドアを開け、リーはアクセルを踏み込み、お互いにすぐ止めて「なんだよ!」と怒鳴りあう。パトリックは見に行くというつもりでI goと言い、リーはやめて家に帰る、と受け止めたのだけれど、この取り違えの間(ま)が見事で、あああるねこういうこと、と笑いが漏れる。

もっとも悲惨な火災事故後の場面でも、酸素マスクをつけストレッチャーに乗せられて救急車に運び込まれる妻は、もう一瞬でも早く夫リーのそばを離れたいのに、キャスターがなんども車の入り口に引っかかり、おろおろと無言で寄り添うリーを振り払えないまま気まずい時間が続く。これも、わざとやっているのかと思うほど手際の悪い救急隊員に、思わず笑ってしまう。

そして、再婚し子供を産んだ元妻と街角で再会する場面。あなたにひどいことをたくさん言ってしまった、自分だけが辛いと思いこんでいたの、でももう恨んでないわと昂って泣く妻。感動的な場面なのだけれど、叶わぬ贖罪に生きた10年と、「ランチでもどう?」の軽さがなんともアンバランスで、ここにも奇妙なおかしみがある。

だからといって、リーの罪は赦されず、失敗は取り返しがつかず、死んだ人は戻らない。リーは最後まで、故郷に帰る決断はできない。
この世には「取り返しがつかないこと」が、やはりあるのだ。

それでも、「小さな贈り物」もまた、ある。

埋葬を終え、パトリックを親友夫婦に託して、リーはボストンに帰ると言う。また便利屋に戻るのだ。でも部屋は少し広くしたと。「ソファベッドを置きたいから」「なんのために?」「お前が泊まるかも」
リーの返答にパトリックが瞬時に涙ぐむとき、私たちもまた、目頭が熱くなっている。ほんの数ヶ月前は、"I go"の意味さえ取り違えたふたりなのに。もう余計な言葉はいらないのだ。それ以上話すと泣いてしまうから、ぶっきらぼうに照れ隠しの言葉をぶつけた後は、赤い目をしたまま無言で歩く男たち。

ラストシーン、釣りをするリーとパトリックの背中は、特別に仲が良くもない、特別に仲が悪くもない、ごく普通の父と息子の後ろ姿に見えて、その残像がいつまでも私たちの胸を打つ。





                    ボストンの北東、人口5000人ちょっとのマンチェスター・バイ・ザ・シーは、香港の名匠                      ピーター・チャン監督がアメリカに渡って製作した『ラブレター/誰かが私に恋してる?』の                    舞台にもなっている。差出人のわからないラブレターを巡って海辺の町で繰り広げられる騒
      動と、浮かび上がるちょっと風変わりな恋と人生。こちらもぜひ。