画像:http://teaser-trailer.com/carol-poster/
some
people/change your life forever.
(その出会いが/人生を変えてしまうことがある)
恋の話である。
最初につけられた題名を"The
Price of Salt"という。
30代なかばのキャロル(ケイト・ブランシェット)は美しく裕福な人妻だが、「居間のカーペットを選ぶように妻を選んだ」夫とは長年不仲で、離婚協議中。一人娘の親権も奪われ、面会権さえ減らされそうな心塞ぐ毎日を過ごしている。若いテレーズ(ルーニー・マーラ)は写真が趣味だが、それで稼げるようになる保証もなく、現実にはデパートのアルバイトの売り子にすぎない。テレーズは売り場に客として現れたキャロルに強く惹かれ、彼女の旅行につきあい、深い関係になるが、その途端、引き離されるように別れてしまう。心に傷を負うが、やがて再会したふたりは―
映画は、2人の再会のテーブルから始まる。
娘との面会権もほとんど奪われながら、その条件を受け入れて正式に離婚し、働き始めたというキャロル。一方テレーズはニューヨークタイムズの写真スタッフに採用されており、ふたりの立場は一変している。キャロルは一緒に住まないかとテレーズを誘うが、テレーズは断って別々に店を出る。するとふたりの出会いの場面から回想が始まり、やがて再び、冒頭の再会の場面に戻ってくる。
テレーズは出席していたパーティーを意を決したように抜け出し、キャロルを探しに行く。人々の向こう、奥のテーブルに彼女を見つけ、立ち止まると、やがてキャロルもテレーズに気づく。その顔がふと緩む。そして、彼女はじっとテレーズを見つめたまま、涙ぐむような、愛おしむような、熱情に燃えるような、まぎれもない「恋」をまなざしに湛える。テレーズも彼女をまっすぐに見つめ返し、歩み寄ろうかというところで、映画は終わる。
わざと輪郭をぼかしたような柔らかさと、抑えた色調の映像。ここまではどちらかというと淡々と進む物語を平静に追っていたのに、この最後の最後のキャロルの視線を見た瞬間、頭を後ろから殴られたように、自分だけでなく世界全体がどくん、と脈打ったように、唐突に「ある理解」が訪れて、涙が溢れ、声が出てしまいそうになるのを我慢しなければならなかった。
ここまで、これはキャロルという類まれな美しい女性を恋い慕うテレーズの話だと思って見ていた。「自分勝手な欲望のせいであなたを(離婚訴訟上)不利な立場に追い込んでしまった」と自分を責めるテレーズに、テレーズよりずっと大人で理性的なキャロルは、「あなたの気持ちをわたしは喜んで受け入れたのよ」と慰めるが、キャロルの気持ちというのは所詮そのように「受け身」なものなのではないか、彼女がなにより大切にしているもの、本能からほとばしる情熱で向き合っている存在は、やはり娘であり、彼女が女である前に母親であるという事実はテレーズには太刀打ちできない部分なのではないか、と思っていたのだ。
だから、あの目を見た瞬間、自分の見方が間違っていたことに気づいて衝撃を受けた。
キャロルが、大人の一時の戯れでも、テレーズの気持ちにただ「合わせた」のでも、まして離婚のごたごたを忘れるためにテレーズを利用したのでもなく、かけ値なく、テレーズに恋をしていることが、あの目、あの表情で、瞬間的に理解できたから。
そして、キャロルこそが、いかに大きな代償を払って、テレーズへの恋を全うしようとしている人であったかに、やっと気づいたから。
キャロルの目は、ほとんど忘れかけていた、世にも甘美な「あの瞬間」を思い出させてくれた。
それは、「ああ、この人はわたしが好きなのだ!わたしに恋をしている!」と初めて気づくときの驚き。それは、いつだって一瞬で訪れる。喜びと、それを上回る甘い衝撃に、感情の均衡を失う。ここではないどこかに、墜落していく感覚である。
もちろん、これは全くのハッピーエンドとはとても呼べず、行く手に多くの困難や偏見が待ち受けていることは容易く想像できる。テレーズにしても逡巡したことが、再会後いったん別れてからやはりキャロルのもとに向かうまでに、出会いからの全てを回想する2時間を挟んだ構成に表れているだろう。
それでも。
一生のうちに、好きで好きでたまらない相手が、まぎれもなく自分に恋をしていると確信できる瞬間を味わえる人は、どれだけいるだろうか。
それは、喜んで「道を踏み外す」価値があるものでは、ないだろうか。
最近何かと「不倫」が話題になっている。「不倫」という字は「倫(みち)にあらず」と書くけれど、そもそも恋というものそのものが、道を逸れること、現実から狂気へ迷い込むこと、現実の秩序や義理人情を捨て去ることではないだろうか。
『キャロル』原作でも、テレーズはボーイフレンドとの退屈な関係に飽き足らず、こんなことをつぶやく。
恋とはもっと至福に酔いしれたある種の狂気であるはずだ。
キャロルは裕福な暮らしも、最愛の娘までも「恋ごとき」の代償として手放す。そう、料理に塩がなくても死にはしない。恋がなくても生きてはいける。それでも、キャロルは手痛い代償を払っても塩を求める人なのだ。
「不倫」も人を傷つけ、自分の評価も損なうけれど、それでも止めようがない、どうしようもないときというのが、あるのだと思う(浅い浮気ばなしとはまったく別の話として)。
「恋愛」を描いた作品として究極の一作が泉鏡花の『夜叉ヶ池』だと思っているのだけれど、この話では、民間伝承の物語を研究しに来た萩原晃が、山奥の村で美しい百合に出会い、居ついてしまう。彼を探しに来た旧友に、観念して姿を現わすが、
諸国の物語を聞こうと思って…自身…僕、そのものがひとくだりの物語になってしまったわけだ。
と語る。つまり、萩原も、百合に恋をすることで現実からあちらの世界に逸れてしまった人なのだ。
百合は清楚でか弱い女性だが、夜叉ヶ池に住む白雪という姫と表裏一体の存在だ。白雪は、剣ヶ峰の恋人から文をもらい、矢も盾もたまらず会いにいくという。しかし、白雪が「座を移す」ということは、付近一帯の村々を全て水に沈めてしまうことである。とてつもない被害が出るのだ。(その被害の大きさを忘れず自制させるために、萩原と百合は決まった時間に鐘をついて白雪に約束を思い出させる鐘楼守の役目を担っている)。
妻子を捨てるなんてものじゃない。たとえ何千人を水没させようとも
義理や掟は、人間の勝手づく、我と我が身を戒めの縄よ…。鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と
言わるる私の身に、袖とて褄とて恋路を塞いで、遮る雲のひとえもない!
と言い放つのだ。なんともスケールの大きい道の踏み外し方だ。
以前から、『ブロークバック・マウンテン』にしろ、『キャロル』にしろ、同性の恋愛話の方が恋の切なさや業の深さを強く感じるのはなぜだろう、と思っていたのだけれど、男女間の恋愛でも恋愛はすべて多少なりとも「道を外して狂気の淵に行く」ことだとしたら、同性間の恋愛は、(特に舞台設定が数十年前のこのような作品では)まだまだ常識からはずれていること、背徳的なことと思われ、成就のハードルが高かっただけに、この「道を外れる」感覚が強調・増幅されて切実に想像しやすいためではないだろうか。
本物の「恋」ならばすべて、喜んで代償を払う覚悟がなければならないのかもしれないのだ。
テレーズは言う。
恐れていながら人を愛することなんてできはしない。恐れと愛は両立しない。
それにしても、ケイト・ブランシェットには魅了された!優雅な美しさ、理性的でありながら退廃的で、繊細さと大胆さが同居し、それなのにちょっとした隙にチャーミングな人間性を感じずにいられない…まさにキャロルそのものの役作りの見事さ。
そしてなんといっても、ラストシーンでの、台本に求められた「そのまま」を、目線ひとつに込められてしまうとんでもない演技力!
いかに「台本どおり」なのか、台本を見て欲しい。
She moves away from the WAITER
and scans the crowded room. Nothing. Then, out of the corner of her eye, almost
imperceptible at first, at a table towards the rear of the room, she sees a
woman’s blonde head thrown back in laughter; the woman
seems to be encapsulated in or protected by a haze of light and smoke. It’s CAROL, CAROL as THERESE has always seen her and as she will see
her evermore: in SLOW MOTION, like in a dream or a single, defining memory,
substantial yet elusive. She moves towards her. CAROL raises a wine glass to
her lips and as she does, she turns slightly and spots THERESE. She is not
startled. We see her face softening.
THERESE continues to approach.
CAROL watches with a smile burning in her eyes. THERESE has nearly arrived.
彼女はウェイターから離れて混んだ会場を見渡す。見つからない。その時、視界の端、最初はほとんど見えなかった部屋の奥のテーブルで、金髪の女性の頭が笑ってのけぞるのが見える。彼女は照明とタバコの煙で霞んだ繭の中にいるかのように見える。キャロルだった。テレーズがこれまで見てきたとおりの、そしてこれからもずっとこの姿を見続けるであろう、キャロルだった。夢の中のように、記憶の断片のように、実体でありながら幻を見ているように、スローモーションで。彼女は近づいていく。キャロルはワイングラスを口に運び、そうしながらわずかに顔をこちらに向け、テレーズに気づく。彼女は驚きはしない。観客は彼女の表情が和らぐのを見る。
テレーズはなおも近づく。キャロルは情熱的な微笑みを目に灯してそれを見守る。テレーズはもう少しでキャロルのもとにたどりつく。